少し前まで生きていた
これは、11月の橘丸。明日は大荒れの天気が予想され、東京から見たら御蔵の手前の三宅島で折り返しが決まっています。よって、あすの御蔵は上下便とも欠航。
冬です。これが御蔵の冬。
では引き続き、移住してからのもろもろ。
村に来てから、木造平屋のお家に住まわせてもらったのは書きましたが。
御蔵では人が住んでいる里は一か所。コンパクトにまとまっているので、家から職場まで歩いて5分とかからない距離でした。
職場へ行く道中、昔ながらの玉石が敷かれた道を歩くのですが、そこには動物の死骸が転がっていること多々あり。。
最初は大きなネズミ。
ひとり「ひーっ」と声を上げ、(あわわ〜)と急いでよこを通りましたっけ。
(…ひさびさに生き物の死骸を見たなあ〜)と思いました。
その道にはその後もよく、カツドリの死骸などが横たわっており、
最初は、その生々しい骨や肉の出具合などに
「うわっ!」
とか思わず声が出ていました。
んが。
1年も経てば、人間慣れるもので、
(死んでる。)
と認識するだけです。
死骸はその道だけではなく、山の道にも今の住宅の敷地にも有ったりしますからね。
考えてみたら、動物の死骸なんて、そこに動物は生きて死ぬのですから、本来出逢って普通なはず。
でも、都内では見かけたことがない…。
死骸を見慣れたころには、こっちの方がホントは自然なことなんだよなあ。
と、思ったのを覚えています。
都内では死骸というか、「死肉」は、食用の肉くらいじゃないでしょうか。
これ言うと嫌がられますが、
食用肉って、死んだ豚の肉・死んだ牛の肉、ですものね。
ま、こうしたことも、村にいると生と死が近く感じるひとつの理由かなと思います。