〜本来の自分に戻るヒントを御蔵島から〜

少し前まで生きていた

 
  2019/01/09
 
この記事を書いている人 - WRITER -
年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。
これは、11月の橘丸。明日は大荒れの天気が予想され、東京から見たら御蔵の手前の三宅島で折り返しが決まっています。よって、あすの御蔵は上下便とも欠航。
冬です。これが御蔵の冬。



では引き続き、移住してからのもろもろ。

村に来てから、木造平屋のお家に住まわせてもらったのは書きましたが。

御蔵では人が住んでいる里は一か所。コンパクトにまとまっているので、家から職場まで歩いて5分とかからない距離でした。

職場へ行く道中、昔ながらの玉石が敷かれた道を歩くのですが、そこには動物の死骸が転がっていること多々あり。。

最初は大きなネズミ。

ひとり「ひーっ」と声を上げ、(あわわ〜)と急いでよこを通りましたっけ。

(…ひさびさに生き物の死骸を見たなあ〜)と思いました。



その道にはその後もよく、カツドリの死骸などが横たわっており、
最初は、その生々しい骨や肉の出具合などに

「うわっ!」

とか思わず声が出ていました。





んが。

1年も経てば、人間慣れるもので、
(死んでる。)
と認識するだけです。

死骸はその道だけではなく、山の道にも今の住宅の敷地にも有ったりしますからね。

考えてみたら、動物の死骸なんて、そこに動物は生きて死ぬのですから、本来出逢って普通なはず。
でも、都内では見かけたことがない…。
死骸を見慣れたころには、こっちの方がホントは自然なことなんだよなあ。
と、思ったのを覚えています。

都内では死骸というか、「死肉」は、食用の肉くらいじゃないでしょうか。

これ言うと嫌がられますが、
食用肉って、死んだ豚の肉・死んだ牛の肉、ですものね。

ま、こうしたことも、村にいると生と死が近く感じるひとつの理由かなと思います。

この記事を書いている人 - WRITER -
年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Copyright© 魂がふるえる遊びをしよう , 2019 All Rights Reserved.