わたしの世界観 ライフストーリー11〜障害者差別禁止法を知る
↑きょうも夕方に泳げるかと思ったら。すでに台風のウネリ?が来ていて無理だった。桟橋の向こう側も、時折波が上がるくらい。
専門学校へは、小田急線と千代田線を満員電車を乗り継いで通った。
学校では文化祭などもたしか…友人たちが自発的に、やろう♪と音頭をとってくれて開催した気がする。友達はナースやインド衣装、私は学ランで仮装しお客さんを呼び込んだ。わたしは男顔で短髪だったので我ながら似合っていて、後輩の女の子に人気があったと後で教わった。女子校ならでは?かな。
御茶ノ水界隈は、古書店や岩波ホールや画材屋さんのレモン画翠があって、面白い土地だった。わたしの育った地域には古い町並みはないけど、神田やお茶の水は古い歴史ある建物がたくさんあった。ものすごーく古い喫茶店や天ぷらやさん、神田に多いというカレー屋さんにみんなで行ってみたり。喫茶店の壁には古い落書きがたくさんあって、空気が違ったのを覚えてる。
すぐ近くには明大もあって、明大の学食にも行っていた。けど、タバコの煙があまりにもうもうと充満していて、食べに行かなくなったっけ。時代ですねえ〜。(そうそう、愛知県では「めいだい」と言うと名古屋大学の「名大」なんですよね。関東で育った私にとっては明大イコール明治大でした。)
2年生になる前だったかな時期は忘れたけど、YWCAはオレゴン大学と提携をしていて、希望者はオレゴン州へ福祉分野の研修旅行へ行ける機会があった。1ヶ月弱だったかなあ。ELI(English language Institute:英語を母国語としない人向けの英語習得プログラム)の授業も受けつつ、大学の寮に泊まって過ごした。ELIの授業内容は本当によく出来ていて、このままずっと居たら、英語がかなり話せるようになるなあ!と思う、本当に実践的で楽しくて素晴らしいプログラムだった!
そして、向こうの福祉現場にも色々見学に行ったような…覚えてないけど。今度分厚いアルバムを久しぶりに見てみよう。フィルムカメラを持って行ったので大量に写真を撮り、現地のコダックで現像してもらったんだっけ。今思えば、わざわざアメリカで現像しなくてもよかろうに、早く見たくてやっちゃってたんだろう。
滞在中は、ホームステイ先で気球を飛ばす大会に連れて行ってもらったり、ダヴィンチ・デイというお祭りに行ったり、美しいフッド山へ行ったり、野外劇場に「じゃじゃ馬ならし」を観に行ったら大きな雷鳴がとどろき出し、観客一同で手を繋ぎ、落ち着いて避難しましょうというアナウンスがあり、アメリカらしいなあと思ったり。一つ一つがとても面白い体験だった。
そんないろいろな経験の中で、私の人生が大きく転換した出来事があった。
それは、向こうの先生がアメリカの福祉について教えてくれた時のこと。
「アメリカでは1990年に、障害者差別禁止法が出来たの。」
と聞いた時のことだ。たしか私がその時アメリカに行ったのは1991年か1992年。
それを聞いた時の驚きを、いまも覚えてる。
それはそれは目がさめるような鮮やかで真っ赤な、たなびくように柔らかいスーツを着た先生に、思わず、
「すごくショック。日本にそんな法律はないと思うし、とてもそれが悔しい。私には、deaf聞こえない妹がいるけど…」
英語でもっと伝えようとしたけど、泣いてしまってそれ以上話せなくなった。そんな私に先生が、
「それは、これからあなたが出来ることで変えていけばいいのよ。」
と、言って抱きしめてくれたんだった。
このことがあって、(こんなことも知らなかった。もっと勉強が必要だ。やっぱり大学へ行こう。)と決めた。
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