“どうでも良い”
今日は、貨物船がつきました!そのあとの昼船は欠航。波にかなり揺られながら、貨物船は帰ってゆきました。
いつも思う。荒波の中を行く船と船員さんって、すごいなあ。
先日も書きましたが。村に来てから、
予測や予定・予報があまり役に立たない=予定通りではなくなる
ということが多い。それは感性を鍛えると私は思っている件。
今日は、あ、その「効用だと思っていること」がそういえば、
また別にあったなーと、思い出したことがありました。
今朝、スカイプでインド在住の方にお仕事をお願いし、お話しすることになっていまして。
最初、先方から言われた時間にこちらからコールしたのですが、お相手の方が出ない。
(これは…インドと日本の時間を勘違いしてたかもなあー)
なんとなくそう思い、
先方からもし連絡が来た時、確実に着信が(私にとっては)判りやすいmessengerへ、
「ご都合OKになりましたら、こちらまでご連絡ください」
と入れました。
(最近はzoomばかりで、スカイプは久しぶりに使うため先方からの着信がどう鳴るのかがわからなかった。)
その後は、先方のことを「待つ100%」ではなく、
むしろ「自分のことやる100%」で、過ごしていました。
そしてその後、先方から連絡があり、無事にお話することができました。
その方にもお話ししたのですが、村に来てから、予定通りいかないことも多いので、そこからどうやり直していくか?に慣れているし、
相手がどう出ようと、どうでも良い
=どうなっても、大丈夫
そういう設定で居るので、ホントに気にならないのです。
とても自分が快適でいられます。(一番大事。)
これが内地にいる時だったら、「仕事で定刻通りは当然。」
仕事ではよほどのことでない限り、遅れるのはあり得ない概念でした。
(もーっ。待たせて‥‥。確認したのに。)
とか思ったり、次の予定が自分にあったとしたら、さらに、
(んもーっ!!)
という思いが、絶対…ほんの少しでも。生まれていたと思います。
イラっとしてね。
それが今はゼロ。
誤解されるかなあ…なんというか、「他人の行動はどうでもよい」「他人の行動に影響されにくい」のです。
それは、常勤を辞める時、(これからは好きなことだけ。自分のやりたいことだけしよう。)と決めたことも大きな要因で有りますが、
予定は未定・決められにくい風土の中で、
予定は儚いもの♪
みたいな感覚が身に染みたことも要因だと思っております。