久々に御蔵の風
11月に帰国、帰島した後は出島せず、村に居たいと思っていたのですが。
実際は、帰島してから再び都内へ行ったため、村に居られたのは実質1週間ほど。
その間も変化は目まぐるしく。。次々と起こることは、ブログで記録も間に合わない。
まいいか。
そして先週末、やっと帰島したのですが、週明けて火曜日。
鼻水と熱と頭痛でダウン。3日間ひたすら寝ていました。
寝ていた3日間のうち、特に12月3日からの強風は本当に凄まじく、まさに、「御蔵の冬がやって来た!!」という感じでした。
(そういえば昨年の12月3日、荒れる波と頑張ってくれている桟橋の写真を撮っておりました。ちょうどこの時期から、海は荒れ狂うんだなあ~。)
さて今朝は元気に戻ったので、バイクで朝日を見に行ってきました!
バイク大大好きなので、乗るのはCubという90CCの小さいバイクであっても!
顔がニヤケるっ。
きょうの朝日。日が昇るのは6時半頃。夏に比べてかなり遅くなりました。 |
朝日が昇るさまを見ていて、日の光は遠く離れた、思いもよらないところ。にも、影響を与えていることが体感できるなーと感じました。
これって、なんでもそうで。毎回!繰り返しになりますが、実は全てが繋がっていて、影響し合ってる。
さて、午後は南郷の浜に行ってきました。
南郷とは文字通り、村の南。里では恐ろしいくらいの強風でも、南郷では静かなものです。
南郷の浜へ行くには、非常に急こう配の階段を下りて行きます。今年の夏もガイドさん達と行きましたが、初めて行く人は腰が引けるほど、怖いみたい。
いわば島じゅうがそうですが、落石もたいへん多く、階段は潮の影響で、痛みはどうしても早いです。
実は今まで時々ひとりで、南郷の浜に降りては岩の上で半日過ごしたりしていたのですが。(もちろん、一人で行ってきまーすと某協会へ報告してですが)危ないから決して一人で行ってはだめ!複数で行くならまだいいが、落石で帰ってこれなくなったら、村から皆で捜索しないといけない事態になる。
と、師匠からきつく言われたため、以降一人では行かないようにしていました。
村では自然が厳しい分、昔から人がたくさん亡くなっています。言われて、そうだよなーと反省しました。
それでも、浜に降りたいな~。と思いながら、階段の上から浜をしばらく見降ろし、あきらめて戻ろうとした時。
天の助け?!
なんと、これから浜に降りて釣りをする方々が到着!!。ということでちゃっかりご一緒させていただき、今夏以来の南郷に到着です。
私、釣りの時は釣果に関心がなく、ただ投げるのが好きです。
今年、人生初の釣りをして判ったことですが。釣りも、瞑想の一種だなーと思いました。
南郷の浜に行って、改めて思い出したこと。自然ととても密着して暮らしていた昔の日本人は、「瞑想」という領域に、ごく自然と入っていけていたのではないかな~?ということ。ヨガとかしないでも、日常生活が瞑想だったって感じ。(ヨガを否定しているのではないですよ。)
霊性とか感性、手先の器用さとか、日本人は様々に繊細なものをもっていますがそうしたものは、日本人が元来持っている資質だと実感します。そして、便利さと引き換えに(ヒトが自ら)資質を育むことを手放してる。
便利さと言えば。
島とは対極な便利さがあるのが、東京TOKYO~ですが。わたしにとって、育った東京は、本当に魅力が無い。その点を毎回感じ入り、帰島しています。
あ、文化や教育の機会は素晴らしくて恵まれたと思います。その恩恵はたくさん受けています。
でも今は、東京はただ単にいろんなものの「数」が多いなあ~と思うだけ。物質やサービスの数と種類やお金のやりとりは多過ぎるくらい。
んで、それだけなのです。(わたしにはね。)住んでいても、決して、豊かだなあ〜〜♫とは感じない。
それは、今まで職業上、会ってきた様々な家庭と家族、年寄りが教えてくれた結果。
ヒトとの繋がりがないと、精神的にも「豊かさ」を感じない。人間、最後に残るのは、人との繋がりです。
ロサンゼルスに行っても、そう感じたな。
昔は階段なんてなかった。この先は、想像できないくらいの絶壁。アスレチック状態。 |