みんなで本来の自分にもどるための、つぶやき遺言集

身体を使った方が、チカラは発揮される

 
  2018/04/17
 
この記事を書いている人 - WRITER -
年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。
また、久しぶりの更新になりました。
早いもので、もう来月は1年の半分に達してしまいますね。
さて。
前も書いたのですが、ここ最近も、とみに「身体を使うこと」の意味深さを感じております。
それを教えてくれた、たくさんの年寄りや師匠たち。ほんとに素晴らしい。
日本人は感性が優れているとわたしは思うのですが、その理由のひとつは。
少し前まで身近だった農作業や山と海のしごと、家事労働など、それらを日本の自然の中で、自身の身体を使ってしていたから、感覚感性が発達したのでは〜と思うのです。
年寄りが生きてきた日本は、今よりずっと、肉体的経済的にも厳しい時代でした。 それでも生き抜いてきた人に会うにつれ、ずーっと謎に思っていたことがありました。
それは、日本の年間自殺者数の高さを考えると、現代のように、自分を見つめ変化できるヒーリングなどがあった訳ではないのに、どうやって?なぜ?生き抜いてこれたのか。という謎です。
年寄りに聞いてみると、「やるしかなかったんだよ。」
↑よく言われました。
つまり、生きるための選択肢が少ないので、出来ることに集中して頑張るしかなかった。それは、人間の意志の強くて大きい力とも言えますか。
あと思うのは、身体をめいっぱい!使っていたため、悩む時間と暇がなかった のではないかという点です。
昔の労働は、ホントーに想像もつかないくらいの重労働。家事に費やす手間と大変さも、現代の比ではありません。
御蔵でも、今はクルマでピューッと山まで行けますが、昔は柘植:ツゲ(木としては大変重いもの)を背負って歩いたことを知ると、もうその苦しさは卒倒しそうです。
燃料の薪割りやまき背負いが必要なくボタン一つで風呂が沸くとか、炊飯器に洗濯機、これらがどんなにラクで時間短縮できているか、わたしも含め多くの人にはもう、実感できないことではと思います。
「むかしは夜なんかもう、疲れちまって、すぐ寝ちまうんだよー」
(By村の師匠)
それでも、次の日はあさ早くから起きて、仕事をしていたのですよね。
そうした年寄りの身体の動きと使い方は、現代の人と違って足腰が強くって、足自体もキレイなんです。(外反母趾がなく、足指がきれいの意。)
ひとってね、ほんとうに年齢ではないのです。
(超余談ですけど、数年ぶりにテレビを見てびっくりしたのですが、年齢肌とかシミとか膝の痛みとか、歳をとることへの恐怖をあおるCMが多いんですねー。ターゲットにされてるぅー。シミなんか、むしろ年寄りの方が少ないと思うんですけどね!)
んで、話しは戻って…
今まで会ってきた年寄りは、物事のとらえ方に柔軟性があったり、言葉や感性、表情と語彙も豊かな方が、多くいらっしゃる。
(これは、村の師匠たちだけでなく、実は身近な年寄りがそうです。そこらへんの年寄りに、ぜひひとこと話しかけてみて欲しい♪色々わかるから♫)

それって、たくさん身体を使ってきた=アタマと感覚を目いっぱい使ってきた。ってこと。

年寄りは瞑想とかもちろん?!していないけれど、昔の労働自体が瞑想状態?というか、精神修養になっていたのではないかと思います。
たとえばわたしの場合、農作業をしていてそれに近いものをヒジョーに感じていて。
御蔵にきてからのポッ♪と出るアイデアは、農作業時が圧倒的に多いです。
(そのアイデア、理屈で考えたら、フツーおかしいかな?と思うような事が出てきて、それは潜在意識で望んでいたことだったりする。)
って言っても、瞑想に関しては、つい先日ヨガの先生に来てもらって体験しただけなので、きちんと書くことはできないのですが、ただ、確信のようなものがあるのです。
にんげん、体を使って動いた方が、本来ヒトに有るチカラが、発揮できるんじゃないか。
人間はもーーっと、身体を疲れさせた方がいいのではないかな?
と。
そう思っていたら、整体師の奥谷まゆみさんが書いておられました!!!
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わたし、奥谷さんの回し者でもアフィリエイトしてる訳でもないけど、超オススメ☆☆☆
うつの方やその予防にも良いと思います☆
身体を使うことの大事さ、ほんとにね御蔵の「崖歩き」のような山行でも、感じることなのでした。
本日行った山からの眺望。
今回の山行きでも、身体を使うことについて、とても考えさせられました。
人間の潜在能力は、やはり身体を使わないと。
 この位置に着くまで、かなりの急斜面(計算したら40度位)でしたが、御蔵の山はそういうものでして。

 

 

春の山。

 

後ろを振り返り、来た「道」を撮ってみる。

 

 

青い海に見える、一番左の小さな白いものが、午前ヘリ。

 

 

 

雲が、生まれては流れ消えていきました。

 

 

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