予定は未定がいい
今日の桟橋しゃしん。
昨日は、「色々わからないままこちらに来た話」でしたが、
今日は、色々とわからない方が感性が鍛えられるんじゃないか?というおはなし。
たとえば、こちらの師匠に仕事を拝見させてもらう時、
「いつぐらいにお邪魔したらいいですか?」
と聞くと
「ンなこと、わっかんねーよ」
「予定は未定!」
と、初めの頃、よーく言われました。
村の師匠たちは、予定した通りに仕事がいかないことが、内地に比べ、ままあるからだとわかりました。
暮らし向きもそうで、天候によっても予定や予測は、大きく左右され、ズレます。
それはもう内地の比ではありません。海が荒れれば船はつかず、物資も食料も届かないため、当然、商店には品物がなくなります。作ろうと思っていたのに、〇〇がないから作れないい〜というレベルではないのです。
内地のみなさまー
食品があるだけ、天国だよー!
って別に今の時代、冷凍庫がありますので、村で飢えたり食に不自由することはありません!ただ内地と種類と数の差がめちゃ大きいってだけ。
村は、「ないが有る」の一言に尽きるのです♪
でね、天気予報がいくら精度をあげても、人間には自然の正確な予測はできません。なので、「船が来ると思っていたけど、来ない」とか、その逆も然り。
「ほぼ予定通り」なんて、できたら御の字なのです。
(余談ですが私は自然災害の予知なんてムリだと思ってる。年寄りと同じく、ぜったい災害が来ると考えて先に備えるのが得策。)
「それが判ればぁ〜苦労はしない♪」
よく、お客さんや私たちが、今後の海況についてM師匠に聞くと、言われる言葉。
これは本当にそうで、御蔵の桟橋カメラや素人目には、海が静かなように見えても、実はとても船が着けられる状態ではないことがあります。
ここ御蔵に来て、人間は予測通りにいかないものの方が多いことを、よく理解できました。
と同時に、不便=予測できない環境の方が、人の感覚や想像力が高くなるのではないかなーと、年寄りを見ていて思います。
内地にいるときは、電車が何分に来て目的地まで何時何分に着く。
ってアプリに出る通りに着くし、お天気だってほぼ予報通りの天気だったなあと思うのです。
人間が、おおかた今後を予測して、コントロール出来る感じ。
でも、ここでは冬は激しく強い風、自然と密な生活なので怪我も多いし、病気になったら専門診療もありません。とても生と死を近く感じています。
そんな中で暮らして来た人たちは、
昨日の人間セコムしかり、どおりで周りをしっかり観察できているわけです。
だって、厳しい自然の中で生きていたら、周りを見ていないと生きて来れなかった部分が大きいですし。周囲の人と協力することも大事だったから、なおさらそうでしょう。
山や海へ仕事しに行くにも、自分の周囲をよく見ることは自分の命を守ることでも有ります。
年寄りたちは、その自然をよく見つめていたので、絵を書くときも、たいへん正確にすばらしく海の波などを描かれます。
そして、どんなことが急に起こっても、変化に対応できる柔軟さが、有るなあと思います。反応が早い。
「わー!こんななっちゃった!」
「おい!じゃあこうしろ!」
ってな感じ。
とまあ、そんなこと一つとっても、予測がつかない環境の中にいた人の方が、感性が鋭いとつくづく感じるのです。