わたしの世界観 ライフストーリー14〜苦労が出来る!
↑今日も山の上は雲が掛かっているけど、流れは早い。
さて、専門学校も2年制で卒業です。高校3年のときの大学受験は、このブログを書くまで忘れていたくらいに積極的自発的ではなかった。
今はわかる。どんだけ自分の「好き嫌い」という意思を持っていなかったか…。
けれどオレゴンに行ってから、「大学に行こう。」とはっきり感じたのはたしかだった。でも高卒後、専門の2年がすぎているので予備校へ行こうと思った。そこで、どこからの情報か全〜く覚えてないけど、毎日新聞の新聞奨学生制度を知った。毎日新聞は、新聞配達をする奨学生向けに予備校を持っていた。奨学生用なので、学費は無かった気がする。
これなら予備校に通えるし、
わたしに足りない苦労が出来る!と思って申し込んだ。
ということで専門学校卒業後は、東京は北区の毎日新聞の専売所へ配属された。
北区赤羽。
もう、びっくりした。何がって、戦前に建ったような古い建物があって、家と家の間がくっついていることに。
わたしが借りた部屋は、まさに戦前に建ったような木造のアパートの一室だった。トイレは共同でお風呂はないので銭湯へ行った。タイムスリップしたような雰囲気だった。商店街も街並みも、ひと昔前の日本の風情が残っていた。
もちろん全然イヤでなく、ほへー!と、びっくりしつつ、違いを見たんだった。
専売所では、4人のおじさん達と一緒に仕事をした。当時はおじさん達の年なんて全く考えたこともなく、今思うと……40代後半のひとが1人、50代のひとが2人、長老が70歳近く。といった面々だったと思う。
みんな、軽妙な口を叩く人で、ワイワイとかわいがってもらった。ご飯は、専売所の所長の奥さんが作ってくれ、みんなと一緒に食べることも多かった。そこでのご飯は、決してマズくないものだったけど、実家で食べていたお米が、本当はとても美味しいものだったことを、この時初めて知った。
群馬弁なまりの面白いおじさん。大人しめだけど優しい感じのおじさん、いつもお酒を飲んでいて顔が赤い長老、本当にみんな、少々仕事やご飯への文句は言うけど、明るい楽しげな人たちだったな。
今日の桟橋。船は朝昼ケッコウです。