私の世界観 ライフストーリー5〜福祉の仕事をするんだろなあ〜
前回のライフストーリーはこちら→『一房のぶどう』三浦薫先生。
今日は、わたしが介護分野でやりたくて、でも決して出来なかったこと。それを追体験させてもらった日でした。
福祉の仕事に携わっていると、個人にじっくり関わりたくても当然ながら人員や時間の全てに制約があり、『利用する人自身のペース』を時間軸として過ごすということは出来ません。(いくら私が、いろんな職場で今までと違うことを提案して変えてきていても…それは、決して!。)
もっとじっくり年寄りと向き合いたい。そう願って人口が少ない村を探して御蔵に来て、本当によかった、ありがたい。と思った1日でした。
さて本日のライフストーリーその5。
「大きくなったら何になりたい?」
そう聞かれて、小学校高学年のわたしは、とーっても漠然としていたけど、
「ふくしカンケイの仕事。」
と言うと、それを聞いた大人は
「まー、偉いのねええええ〜!」
と非常にほめる。たいがいそうだった。
これがホントに!!!子どもゴコロに不思議だった。すっごく、障害とかが他人事なんだなあ〜と感じていた。
(おばさんだって、いつ事故で怪我とかして、体が不自由になるかもしれないのにー???わかんないんだ?!?)って、いーーっっつも思っていて、なんというか所在ない感じを持っていたなー。ふつーのことなのに特別視する、みたいなことに対して。
もちろん、自分が福祉職につくだろうな〜というイメージを持ったのは、まちがいなく妹が難聴だったことが理由だとは、思う。
ただ、なんだろ、妹はなんでもよく出来て活発だったし(妹が小さい頃に行った耳鼻科で母は医者から「難聴の子はこんなに出来る訳がない。この子は難聴ではない。」と言われた。と、当時の医学界というか…?まあ世間が垣間見れる、へんなお話しもあるが、)当時の町田市は革新市政で福祉分野が進んでいた点もあり、周囲も偏見がなくて。わたしの友達とも遊んでたし…ホントに、「私にとっては」なんでもないことなのです。(あ、妹は小学校まで私と同じ小学校に行っていたが、そこで嫌な思いはしたかもしれない。)両親も、障害を持つ妹だけでなく私に対しても平等に接していたので寂しいということもなかった。
しかし、発音の講習へ行ったり、市役所に行ったり、親がする教育委員会の話を聞いたりして、障害児を取り巻く「こう出来たらもっといいよね」という状況はずーっと感じていたので、変える必要があるところは、変えたほうがいいよねー。と思った点で、福祉の仕事かな?となっただけで。
今もそうですけど、昔から、ひとの役に立ちたいとか人のためとか、ありがとうと言ってもらえると嬉しいとか、全然ない。
おっと、遅くなったので今日はここまで。
次のライフストーリー 6はこちら→「他人が信じなくても。」