〜本来の自分に戻るヒントを御蔵島から〜

ライフストーリー 54「これを最後にする。」

 
  2019/01/04
 
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年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。

今日の夕日を見るひとたち。まるまるの太陽が水平線に消えていきました。

前回のライフストーリー はこちら。

両親には採用が決まってから
「御蔵島という島に転職することにした。」
と報告した。

すごく可笑しかったのは、父の反応が
「ふーん。」
と言ったあと、まるでマンガのように、
えっ?御蔵島!?
と、振り向いたこと。ものすごくびっくりしていた。

両親は今まで全部なんでも、わたしのしたいようにさせてくれていた。
買う物もダメと言われたことは一度もないし、私の選択を一切否定したことがなかった。
(この点は、このライフストーリーシリーズを書く少し前、あれ?って気がついたこと。。。)

島に行くことも、もちろん否定されないと分かっていたけど、今までしてきた転職報告よりも、少しだけ緊張した。

母からは
「奈美子はなんでも事後報告だねえ〜。」

御蔵島の位置を説明しようとすると、両親はすでに御蔵を知っていた。
昔うちの店にバイトに来ていた子の親御さんが当時は御蔵に居て、お土産に「御蔵の源水」というお水をいただいたそう。
(御蔵はお水が美味しくて豊富という、離島としては稀有なところです。)

父からは
「親の死に目には会えないと思う覚悟で行けよ。」
と言われ、
「んなオーバーな!」
と言った。
が。確かに、危篤の時にヘリが一杯なら間に合わないかもなあ。とは思っている。

ちなみに、私が今夜の船で御蔵に出発するという、正にその日の夕方!
ものすごく久しぶりにそのバイトの子の親御さんが店にみえた。
「今からわたし、御蔵に行くんですー!」
「ええ!!そうか、じゃあ島の〇〇によろしくって言っとくよ!」
などと話し、びっくりということもあった。なんというタイミングなんでしょうね。

ほいじゃあ行ってくる。と、一地方に行くような感じで、出発。
竹芝桟橋から船に乗り、面接に来た時と同じく早朝6時に船は到着。今は新しい橘丸という船ですが、当時はさるびあ丸という白と青の船。

船を降りて桟橋を歩いて…
自分でも不思議なくらいぜんぜん…全く…一切…(うおおー!!島に来た〜!!!)とかいう感覚がないことに気づいた。
なんだろう……淡々と、
(仕事しに来たぜいっ♫)
という意識しかなかった。

なんでしょうか、ウキウキとかホントに一切なくて、本当に一地方へ仕事しに来たぞ!って感じ。(東京都だけど。)
仕事=面白いこと。なので、それが単なる日常というか、、、、、。

あ。
期待がなかったというのに近いかもしれない。決してマイナスの意味でなく、なんというか自分勝手に「すでにここ知ってる感」があって。
前からわかってる、みたいな。
ただ、目論見だけはあった。とにかく、高齢者と密に接したい。これ一点。
その目論見は、めっちゃ当たっての、今があります。

仕事する上でわたしが喉から手が出るほど欲しかった人間関係のつながりが、ここは血縁としても残っていて
それを生かして福祉へつなげたかった。

そして2年半少し務めたのかな?
常勤を辞めたら、もっと年寄りのところへ好きな時にいけるじゃん!自分が好きな取り組みをめいっぱいしよーっ♫
と思って、退職した。

今まで幾つもの福祉現場を去って来たので、村に来た時、高齢者福祉の(雇用される)仕事はこれで最後にしよう。と決めて来た。
わたしは看取りをしていないので、村で望む人がいるなら看取りまで出来たらいいなあ。とも(勝手に)思っている。

辞める時は、年寄りたちがいる前で退職の挨拶をした。1人の年寄りから、
「砂原さんがやりたいことは、仲里を辞めないと出来ないんですか?」
と、ストレートに聞かれ、
「はい、そうです。」
と正直に言うと、島で言う、「あきれた」とか、「なんということを言うんだコラ!!」というような表現の、
(ハーレ!)
という嘆息が出たのを覚えている。

年寄りとしてはわたしが退職することは、年寄りを見捨てたと捉えたと思う。
わたしにしたら、
(「福祉の仕事をしている人」が、「福祉のことに興味がある・面白い・好きと感じている人」だとは限らないよなー)
と思っているので、ぜんぜん気にならなかった。
これはすべての職種に言えることで、仕事と興味の不一致が悪いことだともぜんぜん思わない。
不一致でも、楽しい嬉しい日々であれば、なんでもありだと思う。

そして退職したはいいが、今後は無職でどうやって経済的にやっていくのか?これーーっぽっちも考えていなかった。
自分がやりたいのは、高齢者のホームヘルプだったが、辞めてすぐは腰が上がらなかった。

そうしたら退職してすぐの頃、ありがたいことに民宿のおかみさんが声をかけて下さり、期間限定で民宿バイトをさせていただいた。
面白かったし仲良しご夫婦と一緒に夕飯を頂くのも好きな時間だった。

そのお仕事が終わると、今度は〇〇から短期のバイト依頼。それが終わる頃に、また別のところからお声をかけて頂く、というループがあり、ありがたいことに食べることに困らなかった。

退職後に村の中でさせて頂いたお仕事すべて、わたしが「やりたいです。」と手を挙げたことではなく、すべて先方から言って頂いて出来た仕事だった。本当になんとありがたいこと。
でもちなみに、2つだけお断りしたお仕事があった。わたしの基準は「パートでフレキシブル(勝手)に動けること」だった。
なので、働いても週3日を最大に設定したため、週4〜5日勤務・シフト勤務だけは、仕事内容にたいへん興味はあったがお断りした。

そんな楽しい最低限度パート生活の中、
(いったいわたしは、いつ本当にしたいことをするんだ…。)
と思っては、いた。

でもでも、本当に、なぜか腰が上がらない。それも3年!常勤を退職して3年が過ぎようとしていた。
今までの人生で、所得額をどんどん低い方に更新し続けていた。
(現在進行形です。)

あと一回つづく。たぶん。

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年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。

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