ライフストーリー 46〜実家にもどる。
村の働くクルマシリーズ。海底に溜まった砂を取り除いてました。
あ!ちなみに、御蔵に砂浜はありません。そして、陸地から遊泳できる場所はこの写真の湾部分のみです。
画廊の仕事はいろいろな人に会えるし変わった経験が出来て面白かった。
お給料は普通だったけど、キレイなものに囲まれているし、会社での人間関係もいいし、評価もしてもらえる。
色々なコトが悪くはなかった。
でもなぜだか、(もういいかなー)と感じた。これがイヤ!とか明確にはないのに。
これを少しでも長くやりたいなーとかいう気持ちがなかった。
私は成績をきちんと保つとか上げ続けるということが、怖かったのかもしれない。お金の計算も苦手だし。
退職しよう。と決め、お世話になった上司たちに話して会社のロッカーを整理した。
そしてこのとき、大学入学から住んだ愛知から東京へ戻ることを決めた。実家に戻ることにし、親は喜んだ。
愛知から東京まで、引越し業者をお願いし、中型バイクは自分で乗って帰ることにした。
部屋は特養に就職した時から住み替えていて、1人暮らしなのに部屋が3部屋もあり、バイクも入れられる物置付きのところ。いい所だったけど、
けっきょく使えていない部屋もあり、ムダに物置と化していた。
引越し業者さんに荷物を運んでもらい、私は記念に下道をのんびりいこうと思い、国道1号線を走って東京へ向かった。
私が実家に着いた頃は、先に引越し屋さんが到着しており、すでに荷物はすべて実家に置かれていた。
早朝に着いたので、引越し屋さんにご飯を食べてもらい、座敷で休んでもらったと父が言っていた。ありがたいことです。
それにしても父から、一人暮らしの荷物の量じゃないと言われた。そうかなー?とちょっと不思議だった私。
実家に帰ってからいつからか…事あるごとに物を捨てていたので、いまの実家には私が愛知時代に持ち込んだ物はほとんど残っていない。
本だけは、父が
「日本は資本主義だから売れないものは再販されない。そう考えて本は必要な物を残した方がいい。」
と言うので、性教育の本だけはとっておいた。性虐待の本は親の目に触れさせてくない感じがして処分したけど。
実家に帰ってから求人を探すと、近くの小学校で学童保育指導員の募集があった。
当時から、公立の学童保育所は減らされており、その学童も父母が運営しているタイプのところだった。
子どもの現場は専門学校時代に実習へ行ったきりだけど、ひじょうに面白かったので、コレは!と思い、応募して無事に採用となった。
その学童は、1人の女性の先生が主体になって運営をしていた。その方は長く公立保育園で務めた経験から、父母たちから学童保育指導員になって欲しいと希望され、学童の立ち上げから関わっておられた方だった。
福祉から離れようと思ったけど、けっきょく児童福祉の現場を選び、通勤徒歩10分の生活が始まった。