持ち込まれ嬉しい
↑↑ きょうの昼食。東京に来てカップラーメンです。
買ってみて思いました。
食べものが沢山あるのは、ホントありがたいなー!!って。
昔の私だったら買わなかったし、買う前に迷ったりしていたと思います。
でも、添加物に気をつけるのも大事だけど、同じくらい大事なのは、摂るヒトの側の意識だということも、村に行ってはっきりわかったのですね。
今回はちょっと食べてみたくなって買ってみました。
ほんのわずかでも、(コレって体に悪いよなあ〜)と感じながら自分をごまかしつつ摂るのと、
(腹へったー!これ食べよ。)
で、食べたあとは、楽しい仕事に戻って楽しく生きる、っと。
その間には大きな差があるのです。
このパンダちゃんみたいに愉しそうな意識でも、添加物の影響を受けにくく出来るのではと思っています。
添加物は注意し排除しつつ、人間の意識が先ず!ゴキゲンでいる。
現実的な対応とスピリチュアル。両方が大切♫
さて今日は村に持ち込まれて、「嬉しいこと」。
導入され・持ち込まれたものの中で、なにが村の人に一番喜ばれただろうか?
と考えてみると、それはヘリコプターで他島と交通が繋がった事かなと思います。
ヘリコプターが発着するようになってから、船が欠航しても天候さえよければ、島からの出入りができるようになったのは、本当に夢のようなこと。
実際、年寄りも夢のようだと言います。
ライフストーリー でも書いたと思いますが、私が御蔵に行くとき、父からは「親の死に目に会えない覚悟で行けヨ。」といわれました。
たしかに、ヘリが導入された平成5年以前は船が欠航すれば当然、外界と遮断され、まさしく文字通り「孤島」となります。
去年か一昨年でしたか、ヘリの故障と船の欠航が重なったことが数日間続き、まさに孤島となったことがありました。ヘリの飛んでくる音もしない、船の汽笛も聞こえない静かな村でした。
その時は『昔はこの状態がもーっと長く続いていたんだよなあ…』と想像して、ちょっと怖くなりました。
でもそのむかし、昭和何年だか忘れましたが、あまりにも船が欠航したため、自衛隊のヘリだったか?が物資を運んで来たこともあったほどです※。
※1月19日現在:出島中のため、改めて確認後、必要であれば追記訂正します。
…なので、出たい時に出られないなんて当たり前。
昔の船ならなおさら何日間も行き来が出来なかったでしょう。
現代の船、橘丸でさえも特に冬は欠航続きなことが、まま有ります。
これは、いくら口で言ったり、こうして書いても内地の皆さんにとっては想像できないことだと思います。
私も実際、来るまでは知りませんでしたし、実感もなくわかりませんでした。
海の様子は天気予報通りにならないとか?
物流が途絶えて、商店には品物がなくなるとか?
コンビニがないとか。
ごくたまーに停電することもあるとか。
里中以外では携帯の電波が届かないところが多いとか。
都内では、大きな災害が起きてから体験するようなことが、村では日常としてあるように思います。
なので、昭和50年代までは里中に畑が沢山あり、食べ物を作っていた名残があったのではないかと思っています。
畑があれば、冷蔵庫がない時代でも船がつかなくても、食べ物が手に入りますものね。(余談:これは20年前から言っているのですけど…今後は農業が一番!大事で良き仕事になると思います。)
そんな厳しい暮らしをしていた方達にしたら、ヘリが発着するというのは、夢のようなことだと思います。
ただ、ヘリも大雨で視界不良なら飛べませんし、席数は9席ですので埋まれば当然、乗れません。それでも、親の死に目に会えない確率は昔に比べれば低くなっているのです。
本当にすべてが、ありがたい、現代の村生活なのです。