触れて触れられる効果、それは絶大。
今日は田中みっちさんという方のブログを読み、改めて膝を打ったので、そのことを♪
まずは、田中みっちさんのブログを読んで、心底そうだなあ!!!!!!と思ったフレーズ。
包丁が、人殺しの道具になり
そして、美しい料理を作る道具になるように
セク シュ アリ ティーのエネルギーも
同じく使いようなのだ^ ^
そうなんだよねー。
性エネルギーって本当に、「強い力」だし「素晴らしい力」だと、 “今は” 思います。
私自身は長年、女性であること=ヤなことされる。という「自分設定」を持っていたため、
性的接触はどんなに好きな人であっても、安心できるものではありませんでした。
長年、(しつこいけど、ホントにそうだったの。)好きということと、性的接触が結びついていませんでした。私にとって性的接触は、強制しかなかったので。
残念ながら日本でもそういう女性は多いですが。
そう、愛知で学生時代に好きな人と別れた時も、
(会えなくなるのは嫌だなあ。でも、これで触られなくて済むなっ!)
と正直なところ、ホッとしてました。
なんということでしょう。
ただ幸いなことにその頃は、自分に起きたことが、夢ではなかったと思い出した後でもあり、性虐待について学び始めていたため、(あれ?これって良くないことなのかもなー)と、気付きました。
でもその後は学問的に色々と学んでも、ずーっと、性的なことに対して嫌な感じは消せなかったんですけどね。
ここ数年、ヒーリングを学んだり受けたり、理屈以外の学びを得たり、性的なことは不快という点を、覆してくれる人と会ってからは、目からウロコと言うよりは、ビックリの連続をしながら、ここまで来ました。今はたいへん幸せです。
おっと、前置きが長くなった。
で。
今日の本題。
↑ 先のみっちさんの記事の中にあったこちらの記事を読んでみたら。。。
なるほど~。
私が回復したヒントが、ここに!と思いました。
と申しますのも、以前に私もうつ病と診断され、半年以上薬を飲んでいたのです。たしか、抗うつ剤と、睡眠導入剤。10年以上前だったかな~?忘れましたけど。
私の場合は、24時間365日大好きな仕事と過ごし(過ぎ)た為です。食べられなくなって痩せ、眠りにくくなりました。実家に居たので、退職後はとにかく寝て、何にもしませんでした。
そんな状態で、いつだったかなあ、あるとき。ずーっと寝ている私の頭を父が手で覆って、額をつけて、なんか言ってくれたのです。たぶん、ちゃんと食べろよ。とか言うことだったと思います。
寝ていたのでよく判らなかったのですが、本当にびっくりしました。
私の実家は、父母や妹家族も色々話しますし、全てに恵まれていて、ある意味理想の家族なんですが(もちろん!?夫婦喧嘩もします。)父がそんな風に包んでくれるとは。ただただ、父が心配していることと、元気になることを願っていることが手からとても深ーーく深く伝わってきたのです。
心から震え、泣きました。
そんなことがあって、そして、その前か後か覚えていませんが、なんとわたし、お漏らしをしてしまったのです。いやー、あの時はビックリしましたねー!!原因は睡眠導入剤の効き過ぎだと思い、勝手に中止。抗うつ剤も、自分で勝手にやめました。
で、そうこうしてたら、治った。
どれくらい時間がかかったのかも、覚えていませんが、1年の間のことだったと思います。
結局、私のうつ病が治った要因には、あの、「お手当て」がひとつ、大きく有るなあと思うのです。慈愛って、母親のイメージでしたが、父親にも有るんだなと思いました。
で。
“ 命を繋いだのは風俗嬢 ”
これ、すごく判りやすいなーと思いました。
触れるという行為は、本当に人を癒すチカラがあります。年寄り観てても、そう感じましたね。ばあさん達は、優しく触れられることに慣れていない人が多かった。じいさん達は、エロモードで慣れているのだけど、エロ以外のふれあいに、慣れている人は少ない。でも、こちらが触れることを意識すると、生き返ります。ある意味。
人間けっきょく、人との触れ合い・繋がりこれしか残らない。
この点は、過去のブログなんかでも、ずーっと一貫して書いてることの一つなんで、自分としては、もう書くのはしつこすぎるかな?と思うのですが、でも書くワー。
これは、もうほんとに福祉職としての実感としか言いようがない。
「触れる」って、人間が意識している以上に、すごくすごく、沢山の情報を伝達しているのです。「キネシオロジー」や、「さとう式リンパケア」、「アクセス・バーズ」などでも、ごく軽く人に触れるだけで、変化があるんだもの。
実のところさ・・・特に日本人には、触れる手法などを学ぶ必要は無くて、ただ自然に欲するふれあいをすれば、各家庭に「ヒーラー」が居るってことになるんではないかな?と思っています。
あ。でもやっぱり残念ながら、自分たちには、ふれあいのチカラがあるんだね!ってことを、思い出す過程が、必要な時代であるかもしれません。
みんな元々自分にある力を、忘れてるもんね。