ライフストーリー 18 〜「沖縄戦のガマの中」
いつものようにきょうも夕方、バイクで山へ行ってきました。
薄暗い空に、たくさんのカツドリが飛び交っています。
時折、シューッ!と滑空していく音が聞こえる。
鳴き声はこんな声。→IMG_1957カツドリ180821
年寄りたちは、この声を表現すると「キーンコキンコ」と鳴いていると言います。
その、だんだん暗闇になる中にいて、思い出したのは高校時代のこと。
皆さんは「本当の暗闇」を経験したこと、ありますか?私は最初の暗闇を、高校時代の修学旅行で経験しました。
高校の修学旅行は毎年沖縄に行くことになっており、出発までに沖縄戦について平和学習を受けました。キリスト教の学校でしたが、当時の先生が熱心だったのだと思います。
その沖縄修学旅行でのプログラムの中に、沖縄戦で使われた防空壕「ガマ」にみんなで入り追悼し黙祷するものがありました。
小学生の時に戦争体験記を読み漁っていたわたし。当時読んだ本にはもちろん、沖縄戦の話もたくさん載っていました。
実際の戦場だった沖縄。
「戦前までは採れたことがなかったのに戦後の畑では、赤ちゃんの頭くらいに大きいトマトが採れた。」
当時読んだ本に書いてあったこと。それくらい多くの血が流れたということの表現だったんですね。読んですぐは、その意味がはっきり判りませんでした。
行ったのは7月だったと思う。飛行機から沖縄に降り立った時の、あの強い湿気の衝撃はよく覚えてます。
どのガマだったか忘れましたが、先生と一緒にみんなで懐中電灯を手に歩き、ガマに入りました。怖いという感覚もなくただ、歩いた。遺骨らしきものとか、あった気がする。。
そして、何か供えたんだったかなあ?私は追悼する進行役の一人だったので「それでは消してください」と、銘々が持っていた懐中電灯を消してもらいました。ほんとうの闇を、しばらく経験するという時間。
最初はふざけてなのか、男子の持つ明かりがちらほら点いたので(このヤロー…こんな時にふざけるな!)とムカッときましたが、あとで思うと、怖かったのか?とも思ったり。
が、少しすると本当の、闇…………。
わたしのすぐ隣、本当にすぐそばに友人が立っているのに、居るのかどうか、本当にわからないのです!!
私ただ1人、ここに居るように感じます。
ものすごく、びっくりしました。
真っ暗闇って、こんななんだ。。
「点けてください。」
と言って、その後に懐中電灯の光が照らされた時には、まぶしいくらいでした。
久々に沖縄でのことを思い出したなあ。
沖縄と言えば、以前の職場での同僚に沖縄出身のN村さんという私と同世代の方がいました。
キレイな方で、はっきりした物言いが好きでした。その方が私の実家に遊びにきて、うちの家族と沖縄戦の話になったことがありました。
「私のおじも、未だに沖縄戦の記憶に苦しめられてる。その話をするのは本当にごく最近になってから。」
「本土の人が、そんな風に沖縄戦のことを知っているなんて思ってなかった。本土の人は関心がないと思ってた。」
ということを言っていたのを思い出した。
余談ですが。
今でも沖縄に修学旅行へ行ってるのかなーと思い、思わず検索してみたら、今も行ってた。