みんなで本来の自分にもどるための、つぶやき遺言集

ライフストーリー 18 〜「沖縄戦のガマの中」

 
  2018/10/25
 
この記事を書いている人 - WRITER -
年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。

前回のライフストーリー17 はこちら。

 

いつものようにきょうも夕方、バイクで山へ行ってきました。

薄暗い空に、たくさんのカツドリが飛び交っています。

時折、シューッ!と滑空していく音が聞こえる。

鳴き声はこんな声。→IMG_1957カツドリ180821

年寄りたちは、この声を表現すると「キーンコキンコ」と鳴いていると言います。

その、だんだん暗闇になる中にいて、思い出したのは高校時代のこと。

 

 

皆さんは「本当の暗闇」を経験したこと、ありますか?私は最初の暗闇を、高校時代の修学旅行で経験しました。

高校の修学旅行は毎年沖縄に行くことになっており、出発までに沖縄戦について平和学習を受けました。キリスト教の学校でしたが、当時の先生が熱心だったのだと思います。

その沖縄修学旅行でのプログラムの中に、沖縄戦で使われた防空壕「ガマ」にみんなで入り追悼し黙祷するものがありました。

 

小学生の時に戦争体験記を読み漁っていたわたし。当時読んだ本にはもちろん、沖縄戦の話もたくさん載っていました。

実際の戦場だった沖縄。

戦前までは採れたことがなかったのに戦後の畑では、赤ちゃんの頭くらいに大きいトマトが採れた。」

当時読んだ本に書いてあったこと。それくらい多くの血が流れたということの表現だったんですね。読んですぐは、その意味がはっきり判りませんでした。

 

行ったのは7月だったと思う。飛行機から沖縄に降り立った時の、あの強い湿気の衝撃はよく覚えてます。

どのガマだったか忘れましたが、先生と一緒にみんなで懐中電灯を手に歩き、ガマに入りました。怖いという感覚もなくただ、歩いた。遺骨らしきものとか、あった気がする。。

 

そして、何か供えたんだったかなあ?私は追悼する進行役の一人だったので「それでは消してください」と、銘々が持っていた懐中電灯を消してもらいました。ほんとうの闇を、しばらく経験するという時間。

最初はふざけてなのか、男子の持つ明かりがちらほら点いたので(このヤロー…こんな時にふざけるな!)とムカッときましたが、あとで思うと、怖かったのか?とも思ったり。

が、少しすると本当の、闇…………。

わたしのすぐ隣、本当にすぐそばに友人が立っているのに、居るのかどうか、本当にわからないのです!!

私ただ1人、ここに居るように感じます。

ものすごく、びっくりしました。

真っ暗闇って、こんななんだ。。

 

「点けてください。」

と言って、その後に懐中電灯の光が照らされた時には、まぶしいくらいでした。

 

久々に沖縄でのことを思い出したなあ。

 

沖縄と言えば、以前の職場での同僚に沖縄出身のN村さんという私と同世代の方がいました。

キレイな方で、はっきりした物言いが好きでした。その方が私の実家に遊びにきて、うちの家族と沖縄戦の話になったことがありました。

「私のおじも、未だに沖縄戦の記憶に苦しめられてる。その話をするのは本当にごく最近になってから。」

「本土の人が、そんな風に沖縄戦のことを知っているなんて思ってなかった。本土の人は関心がないと思ってた。」

ということを言っていたのを思い出した。

 

余談ですが。

今でも沖縄に修学旅行へ行ってるのかなーと思い、思わず検索してみたら、今も行ってた。

 

次のライフストーリー19 はこちら。

 

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