わたしの世界観 ライフストーリー いつもの生活編2
↑きょうは週2回の貴重なパート勤務の日。午後はその仕事の一環で、草刈りをしました。
人を避けてやっていたのでなかなか機会がなく、一回刈ったけど、すでにこんなに生い茂らせてマス。
わたし草刈りは好きで、鎌だけでなく、機械の刈り払い機(草刈機のこと)も好きでして。
これ言うとたいがい「はあー?」って笑われるんだけど、単なる個人的趣味から八王子のコマツ教習所で草刈りの資格も取ってきた。(資格は個人宅などで刈り払い機を使うにあたり必須ではありませんが、仕事として行うには必要らしいです。)
なぜに草刈機が好きなのか?と考えたんですけど…。
思うに。わたしバイクが好きなんですが、御蔵に来てからは中型以上のものに乗れていないのです。もちろん、バイクで(内地の)高速も走ってない。
バイクのエンジン音を聞くと…もう…本当に!顔がニヤけて嬉しいのですが、村では、そのステキな音は、今はもういない(って別に死んでない。隣の島でお元気ですが。)自動車整備の師匠が持つ超大型バイクしか、聞けていなかったのです!
その渇望するエンジン音に近いものが、草刈機にはあるから?好きなんじゃないかと思うのです。
ということできょうはお客様もゼロ!さっそくシャーシャーと刈り払い機で刈り…。今度はアイキャッチ画像の右側、柵付近に生えている固い茎のイタドリとヨモギを、刈り払い機で刈る前に手刈りしておこうと、ザックザクやっていたら、左手の指をザクッ!と切る。
…ほんとに、ザクっ!って「感触」と「音」が…するんですね…(°▽°)(鎌だから?あ、手袋してたからか。)
切った方の手を高く上げ、圧迫して、少し考える。
(止血して、草刈り継続するか…。)→元々は時間ギリギリまでやって、終業の5分前に職場に戻ろうと思っていたから。
(切ったことは言わないでおこうかなー。)→心配かけるとイヤだし。労災とかなったら嫌だし。
…やっぱもうヤメて帰ろ。
痛みのため、早々にギブアップして職場へ帰着。
「大丈夫でしたー?」と聞かれ、「鎌で切ったー」「えー」
水道で少し洗うも、めちゃ痛いので、すぐ圧着してしまい止血。絆創膏をいただき、貼付。
余談ですが、のちに、この自己処置(水道水でがっつり洗浄せずに圧着したことが)破傷風になってないかなーと、ああ心配になるなる。みなさん、怪我をした時は傷口をしっかり水道水で洗いましょうね!消毒についてはここでは述べません♪
さ、ここからが「わたしの世界観ライフストーリー 」、自分の背景たる所以です。
今日のこれ、よく考えたら。
昔のわたしだったら、ガマンして、も少し仕事したと思う!
コレです。
すごく痛かったから、予定通りの時間まではやってないかもしれないけど、
(様子見てやれるところまでもう少しやろうかな。)と迷う。
とか、
(お客様が来たら次にいつ出来るかわからないし、キリのいいところまでやっておこう。)
とか。
今日みたいに、ケガして痛いからって自分の体を第一に、サッサと帰ってなかったと思うのです。
あと、指を切ったことも人にあんまり言わないかも…。
言ったとしても、痛みがなくなってからか、傷がよくなり始めてから言ったと思う。
なんというか…要は、
怪我してしまった自分を「迷惑かけてわるいなー申し訳ない。」
って思う思考回路です。
それが、わたしは村に来て。その数年後に常勤をやめてからのことですが、
トイレは周囲の状況を見て我慢してから行くのではなく、自分の好きな時に行く。ということから始まった「自分の好きなようにする。自分を第一にする。」
「正直な気持ちだけを言う。例えば心の底から自分が感じた時だけ、謝ったりお礼を言う。」→逆に言えば、少しでも感じなければ決して謝らない・お礼も言わない!
自分のペースを貫く。「ほんの少しでも自分がしたくなければ、自分の都合が悪ければ、頼まれても人のためだと思っても、やらない。」
という、まあまあ自分勝手な方針を持つことにしました。
そうしたら、今日のような行動になった。で、特段不自由というか、職場で不都合なこともないわけです。ま、終業ギリギリにお電話頂いたメール送信依頼は左手が痛くて上に挙げてて、キーボード打つのが不自由だったけど、それくらい。
で、上記の「まーまー自分勝手な方針」を貫いてみてわかったことは、
自分第一自分中心にしても、何ら不都合はないこと。
他人への許容量が増すこと。=自分が好き勝手しているためストレスがない為なのか?、他人の行動に対して否定前提の疑問や、否定がなくなる。
ってことです。
一言で言うと、なんでも面白がれちゃうって感じ。
あ!あと、自分に正直でいられるって、なんて楽なんだろう!
と感じましたねー。それはイコール、
他人にも率直で正直で、いられるってコト。
これは、非常に大きなシフトの転換でした。
ただ、これをすると「本音で思っていることと、言動が違う友人」は減ります。よい悪いでなく、ただ単に縁遠くなりました。
その言動が優しさから来ていたとしても、そのヒトの本音から来ていないものだと、遠くなってしまう。
以上、今日は指切りを通して、むかしのなぜか我慢していた自分と、今の正直な自分の違いを痛感したのでした。
あ、まさに切ったから「痛感」?!
汽笛ボーっ♪今朝の着岸。
明日はうねりが出そうとのこと。自然にはあらがえないです。