シフトすることを、選ぶか。
おもしろかったー。
んで。寝ようとおもったのですが。スマホ(iphoneだけどそう呼ぶ。)を見たら。なぜかたまたま、Maho Shono さんのFacebook で印象に残った言葉を見つけました。
“もう自分のために、スネていてはダメ。自分の人生のために、素直になるんだ!”
そしてそこから、下記のブログ記事 ↓ を読み。
あーす・じぷしー公式ブログ「双子のまあちゃんを刺しそうだった日-人生のシフト②-」
↑ ぜひ、ご一読を〜♪
この中でNahoさんが言うところの、
“ 世界が全て鮮やかに見えるようになっていた ”
っていうコト。
あー、私もこういう経験があったなあ。と、久しぶりに思い出しました。
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わたし、愛知の大学に通っていたのですが。
その地域一帯では、女子学生への性被害が多発していました。その問題、いわゆる「女性問題」を学んだり対策を提起する為、専門の学生団体も有ったほど。
そして1年生の時、大学祭で女性問題についての講演会に出席しました。
最初は普通に聞いていたのですが、講演をしていた男性が、子どもの性被害について話した時、なぜかそこに座っていられなくなり、席を立ちました。膝がガクガクしました。そして、バッ!と、一瞬で判りました。
(あれは、夢じゃなかったんだ!)
涙が流れてしかたなくトイレに居ると、後から友人が来ました。泣いている私を見て、
「どしたん。なんか傷つけられたん?」
友人に聞かれても、自分でもなぜ涙が出るのか判りません。悲しいのか?なんなのか?なぜ涙が出るのか?まったく自分で判らない。
「なんで泣いてるのか、わかんない。」
そう答えて、私は自分がどう感じているのか?感覚がまったくないことに気付きました。
なぜか涙が流れるのと、あとはただ、自分の目の前にあった、薄いベールが、バーーッ!!っと一気に開かれたように、
『ハッキリと目の前の霧が晴れた感覚』
がありました。
私、子どもの頃に、集団からの性被害に遭っていて。
それを、ずーっと、(へんな夢だなあー。)と思っていたのです。
正確に言うと、心の底:潜在意識では現実だと判っていたのですが、顕在意識の自分は、認めていませんでした。
しかしあの時、講演した男性が話したことは、加害者からの視点とシチュエーションでして、それが自分の経験と立場はまったく逆ですが、似通っていたことで思い出し、顕在意識の上でも(ああ現実だったんだー)とはっきり判ってしまったのです。
その後の在学中は、女性問題に関心を持ち、性虐待と性教育の研究をするに至りました。わたしの場合フラッシュバックなどはありませんでしたが、眠れなくなったのでウイスキーを飲み、うつになりながら、卒論で性虐待について書きました。
自分の感情がなかったというのは本当で。大学1年当時、学生自治会の執行委員になり書記をしており学内外でさまざまな議論や討論をしていました。
その際、本当に自分の意見をいうことができず、非常に苦しかったのです。自分のほんとうの思いが出てこない。
それは、今まで痴漢にあう時もそうですが、嫌だという自分の感覚と感情を、今ここに居る自分とは別のところへ飛ばして、バシッと切り離すことが出来るんですね。自己防衛の一種。自然の幽体離脱みたいなもんです。
本当に感じていることを、隠さないといけないと思い込んでいたのです。「NOって言える」とか、「言っていい」なんて、思いもしませんでした。(ここは、性教育で強く伝えて欲しい点ではあります。)
なので、大学で議論をしていても、自分が「ほんとうは」この点についてどう感じているか?どう思うか?それを出すことが、ものすごく苦痛でできませんでした。
性とは、「人間の根幹」=「自分の根幹」です。だから、性への暴力は殺人と同じなのです。 (って言っても、ピンとこない人多いでしょうかね?)
性虐待を学ぶ内に、不可解だった私の不自然な部分が、学問的にもさまざまに次々と裏付けされ、ほんとうに救われた。・・・と、当時は思っていました。けれど、残念ながらそれはアタマの中だけでした。
心と身体は、大丈夫じゃなかった。ということが、後で判りました。
遅まきながら近年やっと、本来に戻ったなーというところです。なぜ、本来の心身に戻れたかという点は、いつか書けたら良いと思っています。
性やセックスについてもぼちぼち書きたいところ。若いサバイバーの方たちが、前へ進めると良いなと思います。
その人が、被害者として生きるのではなくて、自分の好きなことをしたい生き方を望むのであれば。
それにしても。私は「自分・女性としての自分」と向き合うために、愛知に来たんだなあ。と思いました。
人生のシフトは私の場合、愛知で始まった。まあ、私が愛知を選んで、シフトすることを選んだのでしょうけれどね♪たぶん、実家がある都内の大学だったら、わたしの場合シフト変更出来なかったと思う。
なので愛知は、わたしが育った町よりもずーーっとホームグラウンドと申しますか、思い出が深いところ。。。でも、行きたいような〜行きたくないような。
ところがその愛知へ、しかも大学の近く?!へ、来年の冬に視察旅行で行くことになり、個人的には、(このタイミングで、一体。何の因果なんだろうか〜。)
と感じた、今日このごろ。
風もないバイク日和。 |
なんと!八丈島まで見えました。 |