ライフストーリー 34〜天国での経験。
今はもうない長久手町の草原でみんなと。
前回のライフストーリー はコチラ。
私のもうひとつの大学での天国経験、もう少し続きます。
芸大の学生さんはまじめだった。かといって堅苦しくもなく、付き合いは面白かった。
インドからの留学生に本場のカレーを何種類も作ってもらってみんなで食べたり。今でも年賀状をやりとりしている人もいる。
そして、何よりモデル仲間も素晴らしかった。
私より年上の人たちはモデル事務所の人=経験者。年下の人は、私と同じく未経験者。
みんなかっこよくてきれいな人たちだった。それは、姿形だけでなくって、性質も!
人の痛みを想像することができる・配慮ができる・さっぱりしてる・自分の好きなことを追求している。
あ、今気づいたけど、控え室で一切、
グチを聞いたことがない!
モデルは20分ポーズをとり、5分?だったかな?忘れたけど数分休憩。そしてまた20分間…を繰り返す。
腕を上げたり足を踏み込んだりしたままの時間は肉体的には、とってもきつい。
「きついと血が出る!とかだったらわかり易くていいのにね〜!!」
なんて話してはいたけど、ホントにグチめいたことは全く出なかった。
女同士の湿ったものがなかった。
演劇や音楽をやっている人もいて、みんなで話すことは自分の半径100メートル以上のこと、が多かったな。
自分から遠く、広い範囲の話題。これに事欠かなかった。
山田詠美も、そんなことを書いていたな。付き合う男性が話す話題は、自分のこと以外の世界を持っている人の方が面白い?みたいなこと。
授業には水道端美術学校の先生も来ていた。
忘れられないのは、学生に指導している時の表現。
私に「ちょっとごめんね」と断って、お尻から股間につながるところの描写を、今まで聞いたことがない表現で話していた。
その授業の後も私はそれを記憶で再現できなかったくらい、感覚的なんだけど文学的表現を超えた、比喩でもない観点の言葉だった。
私は(身体をこんな表現で伝えられるんだなあ!!)と感銘を受けながら聞いていた。
あの経験もすばらしかったな。
あと、印象に残っているのは、自分がモデルになった学生さんの作品を見て、
「あー、わたしやっぱり男の人になれないんだなぁー。」
って腑に落ちたこと。
これ、自分でそう思ったので気づいたのだけど…。
わたしは心のどこかで自分は女性じゃない違うものになれるんじゃないか?そう思ってたんですね。
女性であることは嬉しくない。安全じゃない。という否定から来てたとおもう。
それが、他者から見た自分の像を見て、ようやく自分が女性であることを認められた。
ホントにね、なるほどなーそっか。って自分のことなのに思った。
話は変わって。
1年目はバイクで怪我をして、ギプスのままモデル台に立ったので、学生さんには迷惑をかけた。(その事故の時の記事。)
そして自分の大学より通っていたかもしれない、芸大2年目。
彫刻科のT先生から個人的に、夏休みの間モデルを頼まれた。
先生のアトリエには紐やらロープが垂れていると学生から聞いていて。何だろうと思っていたら、それはポーズをとるときに掴むもの。かなりポーズとしてはきついものが多いと聞いていた。
その先生(60代の女性)の作品は大好きな仏像を連想させ、とても好きだったので喜んで受けた。
夏休みの間、静かな大学でT先生のアトリエへ通った。
ポーズは右手を上にあげて右足を踏み込むもので、きつくて20分だと大変つらく、先生が10分間隔にして下さった。T先生はさっぱりした方で、本当に大好きだった。
私がいつだか、
「なぜ男性のモデルが少ないのか?」
と、半ば女性差別的なんじゃないかという意図を持って聞いたところ、
「男の人は、毛が、ねえ〜。」
その一言で、もう笑ってしまった。私の意図は吹っ飛んだ。毛があって、肉体的に捉えにくいということだったらしい。
そんな先生の仕事が好きで、卒業してからご実家のアトリエを訪ね、テラコッタを譲っていただいた。自由でのびのびしているその「仕事」は、昨年からうちの玄関に。先生に会いに行きたいな。(と思った時がタイミングなんだよね)
芸大での時間は、当時残っていた豊かな深い自然と共に、会えた人たちと過ごしたことで、
自分を隠すことなくそのままでも大丈夫ということを経験させてくれた、ホントに天国だった。
次のライフストーリー はこちら。「天国に通った結果。」
T先生と。後ろの手を挙げている像が、仕事した「仕事」。