魂がふるえる
昨年のちょうど今頃です。
実家の母がインフルエンザになり、その予後が悪かったことがありました。
母の体調が回復せず、両親は東京で商いを40年以上していますが、約1ヶ月のあいだ店を休業しました。そんなに長く休むことは初めてのことでした。
父は、廃業を考えたり母の姿を見て泣いたり。(男性はデリケートですね)
良かったのは、これが今後の二人の働き方を大幅!に見直すきっかけとなったことでした。
毎日、これからのことを話し合いながら過ごしていました。
そんなある日、ポストに水色の封筒が入っていました。
宛名には「〇〇さま」と店の屋号が、子どものようなたどたどしい文字で書いてありました。
「なんだコリャ。いたずらかな?」
と父に渡すと、
「ああ、A君だ。」
と言って、封を開け読み始めました。
私も読ませてもらうと、
「〇〇さま
心配しています。
はやく元気になってください。」
なんでしょうか。
ぶわーーっ!!
と、気みたいなもの?が、迫ってくるというか…強風が吹いてくるというか…
そんな感じがあり。
そして読んだとたん、
もう、泣けて泣けてしようがありません。
ものすごいストレートな気持ちが胸に迫りくる。
という経験をしたことがありました。
いまも書いて涙が出ます。
A君はダウン症で、作業所で作った商品を売りに来る子の一人。
両親からよく聞いていたので私も名前だけ知っていました。
父は福祉を学んでいませんが、障害を持った子と通じるセンスがあるので、店がずっと開かないのでお手紙をもらったのでしょう。
それにしても、あんなに魂がふるえる手紙を開いた経験はありませんでした。
なぜ、あの便箋から何かが出てきたのか。
それはやはり、まっすぐな気持ちと感情が乗っかっていたからだと思います。
理屈でなく感情。
村に来てつくづく感じることも、その点です。
(有名な)誰々がこう言っている。
(有名な)誰々が論文に書いている。
本にこう書いてあった。大学で学んだ。
…ということは大事な面もありますが、それだけでは取りこぼしが多いと感じます。
村の師匠たちは、色々なことをすごくズバッとはっきり言います。
ただ、(自分がこう感じた思った。)ということを率直に言ってくれる。
感情を出すことをしていないわけではなかったですが、
これはしたくない。
という、今までなら言いにくくて言わなかった・しなかったこと。
を行動しはっきり出すようになったのは、師匠たちのおかげかなあと思います。
余談だけど、これからは理屈より感情や気持ちが大事になる時代。
村の師匠たちは、最先端を行っているとおもう。