〜本来の自分に戻るヒントを御蔵島から〜

仕方ない

 
 
この記事を書いている人 - WRITER -
年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。

今日は、びっくりしちゃった言葉の使われかたについて。

今はむかし。村に来てから仕事の件で、
「めんどくさい」
という言葉を職場で言われることにとてもびっくりし、また、すごく抵抗を感じていました。
仕事で「めんどくさい」とか、あるんだ〜!と。

福祉の仕事だったのですが、福祉においてそう言うことが許せなかったんですねえ。奉仕の心が無い私ですが利用者を第一にしていない気がしてしまって。
「1回めんどくさいと言ったら10円ですよ!」
「あ!10円!」
とか、めんどくさいことを上司に言っていましたっけ。

また、北海道に住む、町田で育った幼なじみがひょんな話から、
「仕事で小樽の人が『めんどくせえ〜』と言うのでとてもびっくりした。そんなこと仕事で言っていいんだー?って思った。」
と話したことがありました。
…これは!
海が近いという地域性などもあるのかな?と、いっとき私の中でちょっとしたテーマになっていました。(今は、それこそめんどくさいので追求しない。)

結局これは、仕事の概念と価値観が違うためなんだなと理解しました。が、そうわかるまで時間がかかったものです。


あとは、

「仕方がない」

という言葉。

これは以下の2点から、腑に落ちた言葉でした。

自然の力には、かなわない=船は就かない。

人は死ぬ。病気やケガをする。


1点目。
自然の力は人間の力が及ぶものでは、決してない。暴風雨や荒れ狂う海を見ていると良くわかります。

2点目。
村の人と顔見知りになり、すれ違えば何か話したりします。(東京にいた時のように一分一秒急ぐことは私の場合はなくなりましたので、話す余裕があるということでもあります。)
そんな中、村の方が亡くなるとお墓に運ばれるときはみんなで手を合わせておみおくりをします。
緊急ヘリが飛べば、誰だろうと不安に感じ、心配になります。

身近に感じる人が、亡くなることを経験しました。
それはひるがえって、自分の身にも同じことです。
死はどうしたって平等。(と、私は思っています。)


でも、村の大好きな師匠の死期が近いと判り、泣けて泣けて仕方がなかったとき、別の師匠から、
「にんげん、どうしようもないことはあるんだよ。」
と言われ、ほんとうに諦めなければいけないことが、人にはあるのだとわかりました。

村に来るまで、「仕方がない」という単語は私の中にはありませんでした。

「仕方がない」って、それって、そう思えるまで力を尽くしたのか?と思い、言い訳とあきらめの言葉と捉えていたのです。

村に来て、仕方がないというのは、マイナスな意味でなく本当にその通りなのだなあと知ったことばでありました。

言葉の意味づけは自分自身でしていて、自分で反応しているだけ。なのです。

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