〜本来の自分に戻るヒントを御蔵島から〜

わたしの世界観 ライフストーリ16〜新聞奨学生

 
  2018/10/25
 
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年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。

↑今日の昼船。コレは桟橋の西側にいるところ。

 

前回のライフストーリー はこちら。

船が出たのかな?と思って見に行ったら、師匠二人が桟橋を見つめていた。「つかなかったよー。」と師匠。

桟橋の西側(向かって左側)に付けたが、ウネリで揺れてムリだったそう。

ああー無理だった。桟橋を離れる橘くん。

すると、桟橋の反対、東側へ動き出す。

「おおー!もしかして東側にチャレンジ??」

と話していると、「おいおい〜」と、海山のお師匠もやって来た。

とうとう無事、反対側に着岸。

師匠いわく、「橘丸で、対岸もチャレンジするのは初めてじゃないかなあ〜?」とのこと。いやー貴重な瞬間でした。そして師匠たちとワーワー話しているの、ホント面白いんだよな。

 

(前回のライフストーリー はこちら。

さて。ライフストーリー に戻って。新聞奨学生をしていた時の続き。。

 

起きていたのは、午前3時だったかなあ?1度だけ寝坊をして、所長の奥さんが「なみちゃーん」と、ドアを叩いて起こしに来てくれたことがありました。

配達部数は270軒だったかな?240軒??確か300軒なかったような気が。薄い紙の台帳があり、最初はそれに配達するお家を書きながら一緒に回って教えてもらい、一人で配りはじめの時は台帳を頼りに配達し、覚えてしまったら台帳なしで大丈夫。

自転車に新聞を前のカゴにはタケノコのように積み、後ろにも積むと、最初はものすごく重かった。痩せていたので、手首から肘までの腕は自分でも、板みたいだなーと思うくらい薄かったのですが、前カゴが重いので力が入った為でしょう。配達をした1年で、腕は板状から普通の腕?になって丸くなった!と驚きましたっけ。

私が担当した地区は、坂も無く平らな土地でマンションとか団地など、階段を上がって届けるところがありませんでした。他の奨学生の子の話によると団地やマンションがあるとのこと、その経験を聞いてそうだった!と、違いを知りました。私が育った地域も坂が多くてマンションや団地も多い。そういう地域の配達は、なんでも大変だよなあと思いました。また、その年は梅雨時期も雨がそんなに多くなく、私としては苦がない配達でした。

朝刊配達後には朝ごはんをみんなで食べてから、予備校へ行きました。

予備校では、正直言って一生懸命に勉強した記憶はないのですが、同じ販売所に配属になったI川くんはまじめに頑張っていました。たしか成績上位者に名前も載って張り出されていたような気がします。私も1度なぜか名前が張り出されたことがありました。確か他の科目はメタメタだったのに国語の成績だけが良く、それでなぜかランクが上がった為のようでした。喜ぶ以前に、とっても謎に思っただけ…という経験でした。人間、自分の力でないものは信じられないものですね。

講師の先生方は結構、個性的な人がいたような気がします。(うろ覚え〜)印象に残っているのは、英語の先生。なぜか、イヤホンが実は電磁波か何かで身体に良くないという話だけは覚えている。笑

夕刊を配達してから、夕ご飯。だいたい私が1番先に食べていてNHKの名探偵ポアロを見ていました。今でも、あのエンディングの曲を聴くと懐かしくなります。そうこうしているとおじさんたちが食べに来て。ご飯の量があまり減っていないと、「なみちゃんもっと食わなきゃダメだっぺ。」と群馬弁??で言われたりしてました。

 

アパートにはお風呂がありませんので、近くの銭湯へ。奨学生になってからすぐの時期に値上げとなり、それでも330円とかだったかなー???銭湯は地域にいくつかあって、最初は回ってみたような気が。いつも行っていた所は今でもあると思います。もう随分昔に、販売所を見に行ったのですが、家々が全く変わっており、本店はわかるのですが、自分のいた支店である販売所が探せませんでした。住んでいた、戦時中に作られたようなアパートはまだあったかな。でもいつだかGoogleearthで見たら、取り壊されて空き地になっていました。

そうそう、アパート近くの商店街に、古い時計屋さんがありました。ちょうど親が、父の実家から持って来た古い振り子時計を修理できる時計やさんを探していたので、そこに修理をお願いしたことがありました。

その時計屋さんはご高齢の男性で、なんとご自分で部品を作って修理をして下さいました。お人柄も良い方だったそうで、親が惚れ込んで、そちらへ2度目にオーバーホールか修理を頼んだとき、「もう自分も歳なので、これが最後になります。」と言われたそうです。時々、ああいう人は本当にいなくなったね。と親が話します。

その時計屋さんは、昔に見に行った時はもうありませんでした。ご主人もこれが最後とおっしゃっていたので、お分かりだったんでしょう。

 

次のライフストーリー 17はこちら。「ダヴィンチ・デイ」

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