〜本来の自分に戻るヒントを御蔵島から〜

至れりつくせりの功罪

 
  2018/04/07
 
この記事を書いている人 - WRITER -
年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。

出島して、大都会 東京で毎回感じること。

それは、

自分のことを、他人の手に

ものすごーく、委ねているんだなあ〜

至れり尽くせりすぎる。ってこと。

数年前、アメリカに住んでいる友人達が口々に

「日本は信じられないくらい、

至れり尽くせりだよね〜!!」

と話していたことが、

村に来てからようやくわかりました。

東京に居ると当然のことが、

村に来てからは不可能だったりするので、

なるほどと思ったのです。

東京では、お金を払えば福祉サービスを受けられますが、

介護する側が介護以外の分野も学んで高齢者の自立を深く意識しないと、

高齢者が自分で考えたり、体を使う機会は減ってしまいます。

 

福祉サービスは必要だけれど、一歩間違えると、

年寄りのチカラを奪うことになりかねない。ってコトです。

ま、これは子育てとか全てに言えますが。

 

特に東京では、

かなーり気をつけないとっ!!

知らず知らずのうちに、

個人のチカラを削がれてしまう。と思っています。

 

例えば。

村の年寄りは、東京の同年代の人よりも、

気力体力が充実しています。

 

厳しい自然と厳しい生活環境で生きて、

自分でなんでも!やらないといけなかった。

そして実際、やってこれたのです。

 

年寄りは

「大変でもなんでも、

やるしかなかったんだよっ!!

て、言います。

 

でね、そういう人たちの話を聴いていると

自分で(絶対これするんじゃ!!!)

と決めたことは、達成しているんですよね。

出来るかな?とか、思わない。

というより、思えない環境

昔の厳しい「やるしかなかった」状況

↑コレで

鍛えられたからです。

 

「個人のチカラ」とは

「自分は出来る=自分を信頼していること」

「自分の感覚を信頼していること」

と言ってもいいかもしれません。

 

至れり尽くせり過ぎると、

 

ホントーは自分ができることでも、

さも、

自分では出来ないから。

他の専門の人じゃないと出来ない。

って思いこんじゃいがち。

 

・大工さんじゃないのに、

自分で家建てる。倉庫建てる。ニワトリ小屋建てる。

・耕耘機直す。

・電化製品直す。

・とにかく自分が便利なように、なんでも作る。

ンなこと出来ちゃうんだ?!

やっちゃうんだ!

…………いろいろなことを、

自分たちで作り出している師匠達を見ていて、

そう感じます。

 

あなたは、なにが出来ない。って、思って信じてますか。

 

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