〜本来の自分に戻るヒントを御蔵島から〜

8月6日原爆の日~ちかくの年寄りに聞いて欲しい。 

 
  2018/04/15
 
この記事を書いている人 - WRITER -
年寄りと会う、草刈りする、文章書くetc…好きなことだけする生活を実験中。 村のおもしろい師匠たちや厳しい自然から楽しく修行もしています。 積み重ねてきた、『大好きなアタマで考える理屈』はちょっとヨコに置いて。 人間の『感覚、感性、勘!』を一番大事にする、それを体感する為に村に来たんだな〜と感じる日々を過ごしてます。

今日は広島に原爆が投下された日。

今までたくさんの年寄りから、意図して戦争の話を聞いてきました。

介護職の中には、
「戦争の話は本人にとって、つらい記憶だから聞けない」
という人もいますが、

戦争体験は特に、家族以外の人間に話してこそ、年寄り本人は冥土に行ける。とわたしは思っています。

そんな年寄りの話を聞く中で、強く思ったこと。

それは、人を殺した加害者側の苦しみが、世間には深く知られていないなあということ。

PTSDなんて、今でこそ知られていますが、あの、戦地での記憶に苦しめられている年寄りを見ていると、戦後に復員兵が沢山いた日本の状況は、色々な意味で悲惨だったことは、想像に難くないです。

 

10年以上前になりますか。
90過ぎた、広島出身のばあちゃんが言っていました。

「戦後、女は腰に包丁をぶら下げて歩いたのよ。」

「人間ってね、ああいうときは、ケモノよ。
女を襲ってくるから、私たちは包丁で脅して身を守るのよ。」

復員兵でなく市井の人々も、生き残ることに懸命だった。

話戻って復員兵にとって、PTSDは様々な形で現れ、それが復員兵自身にも周りに波及する。

兵隊として、望んでいなくとも、結果的に人を殺した。

敵の目をかいくぐり、逃げ延びなければならない悲惨な状況下。

それら戦時の苦しい記憶は、認知症になってからも、ずっと苦しむ人が多いです。

加害者は死ぬまで強く苦しみ、苦しみを抱えたままに、死んでいく。

それが戦争です。

 

わたし、甥が3人おりますが、愛らしい彼らには、どんなことをしても生きていて欲しいと思います。

が、しかし。

ひとには、自殺を選択してもいいという時が、あるな。という結論に、あるとき、達しました。

それは、人を殺した時、です。

どんなに歳をとっても。

認知症になって、どんなに、自分の内面と外界とが交信出来なくなっても。

あれだけ深く苦しむことになるのでは、自死を選択するのも、ひとつだろう。

そう思わざるを得ないほど、人を殺すことは、殺した側をも傷つけています。

この点、「戦争では殺した側も、苦しみ続ける」という点がもっと理解されれば、
より、非戦のチカラになるのでは?と思います。

身近にお年寄りがいる方、どうぞ、戦時中はどうだったか。どう感じていたか。静かに聴いてみて欲しいと思います。

時間は、もう残されてはいません。

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