8月6日原爆の日~ちかくの年寄りに聞いて欲しい。

今日は広島に原爆が投下された日。
今までたくさんの年寄りから、意図して戦争の話を聞いてきました。
介護職の中には、
「戦争の話は本人にとって、つらい記憶だから聞けない」
という人もいますが、
戦争体験は特に、家族以外の人間に話してこそ、年寄り本人は冥土に行ける。とわたしは思っています。
そんな年寄りの話を聞く中で、強く思ったこと。
それは、人を殺した加害者側の苦しみが、世間には深く知られていないなあということ。
PTSDなんて、今でこそ知られていますが、あの、戦地での記憶に苦しめられている年寄りを見ていると、戦後に復員兵が沢山いた日本の状況は、色々な意味で悲惨だったことは、想像に難くないです。
10年以上前になりますか。
90過ぎた、広島出身のばあちゃんが言っていました。
「戦後、女は腰に包丁をぶら下げて歩いたのよ。」
「人間ってね、ああいうときは、ケモノよ。
女を襲ってくるから、私たちは包丁で脅して身を守るのよ。」
復員兵でなく市井の人々も、生き残ることに懸命だった。
話戻って復員兵にとって、PTSDは様々な形で現れ、それが復員兵自身にも周りに波及する。
兵隊として、望んでいなくとも、結果的に人を殺した。
敵の目をかいくぐり、逃げ延びなければならない悲惨な状況下。
それら戦時の苦しい記憶は、認知症になってからも、ずっと苦しむ人が多いです。
加害者は死ぬまで強く苦しみ、苦しみを抱えたままに、死んでいく。
それが戦争です。
わたし、甥が3人おりますが、愛らしい彼らには、どんなことをしても生きていて欲しいと思います。
が、しかし。
ひとには、自殺を選択してもいいという時が、あるな。という結論に、あるとき、達しました。
それは、人を殺した時、です。
どんなに歳をとっても。
認知症になって、どんなに、自分の内面と外界とが交信出来なくなっても。
あれだけ深く苦しむことになるのでは、自死を選択するのも、ひとつだろう。
そう思わざるを得ないほど、人を殺すことは、殺した側をも傷つけています。
この点、「戦争では殺した側も、苦しみ続ける」という点がもっと理解されれば、
より、非戦のチカラになるのでは?と思います。
身近にお年寄りがいる方、どうぞ、戦時中はどうだったか。どう感じていたか。静かに聴いてみて欲しいと思います。
時間は、もう残されてはいません。